別人になりたいと本気で思っていたときの話
9月1日は統計上自殺者が多いという。
死なないでと有名人が訴えたという記事を、ついこの前読んだりもした。
文字通り死んでしまう人は年間3万人前後いるが、ということは死のうと考えたり死にたいと思う人はもっとたくさんいるんだと思う。
死にたいと思うのと、死のうと考えるのと、死んでしまうのはまた違うことなのだけど、その昔精神科で勤務していたときは、希死念慮と自殺企図、自殺未遂はとても重大な事項として観察していた。
看護師として、何としても防がなければいけない死である。
そのときの看護師の仕事や目標をいまは簡単には書けないけれど、患者さんの生活の質が上がるように考えて、仕事をしていた。
ある日、白衣のサイズが合わないと思った。
白衣のお腹周りの布が余りすぎて、オムツ交換で汚すことも増えた。
食事に味がない。
おかしな夢を見て、夜中に目を覚ます日が増えた。
死にたいとは思わなかったが、別人になりたいと思っていた。本当にそう願い、その方法を探していた。
詳細な記憶はかなり薄れているが、当然別人にはなれないし、いま振り返れば考えていることそのものがおかしい。
極端に視野が狭まっている状態だったのだろうと思う。
いまつらい思いをしている人に、掛ける言葉は正直見つからない。何が正しいのかわからない。
無責任なことは言えないし、何か言葉をかけたところで、力を持つとも思えない。
でも、いまは少なくともあのときの私より生きやすい。
退職して、紆余曲折あり、いまは当時の半分の給料だが、少なくともあのときより辛くない。
逃げてよかったと思っている。
死なないでという訴えも、こうした日常の戯言も、何が心に届くのか、わからないから、色んな言葉を投げ掛けるのだろう。
誰かの心の片隅に灯火がともればと思うのは、きっと皆同じだと思う。
小さな願いを、あくまでも記録として、こんな形だけど残してみようと思う。